KORANIKATARU

子らに語る時々日記

うなぎを買い損ねた夜、バスに揺られる

久々にうなぎでも買って帰ろうと思うがあいにく名店川繁は火曜が定休日であった。
残業務を終え事務所を後にする。

台風一過で9月はじめにいっとき涼しくはなったがさすがに熱帯化しつつある大阪である。
夕刻となっても数分歩くだけで汗ばむ蒸し暑さだ。

どこかで大雨が降っているらしく東西線に遅れが生じていた。
待てど暮らせど電車がやってくる気配はなく更に遅れ続ける様子である。

JRで帰るのはあきらめ阪神電車で帰ることにする。
うなぎがあれば子らは喜んだことだろうと思いつつ、阪神電車に揺られうなぎについて考える。

泥から生まれた生き物だとその素性を軽く見られてきたようなうなぎであるが、実は壮大な背景を持つ神秘の魚だ。

そもそも何を食べているのかさえ容易には分からなかった。
古来から謎であり続けた産卵場所についても突き止められたのはごく最近のことである。

長年の追跡と推論の結果、割り出された場所がマリアナ海域。
日本から2,500kmも離れた場所である。

日本の河川で5年から10年過ごし成体となったうなぎが満を持してか川を下って海へ出る。
日中は身を守るため深海を泳ぎ、夜は生殖機能を成熟させるため水温高い浅瀬を進む。

はるばる海を進みやがてマリアナ海域に到達する。
4,000m級の海山が嶺を連ねる特異な海域であって、そこが特有の地磁気を発するのか、独特の塩分濃度の海水がサインとなってのことなのか、各地からやってきたうなぎ達がここで一堂に会することになる。

そして新月の夜、一斉に産卵が始まる。
成体はそこで命尽き、孵化した稚魚が海流にのって長い旅に出る。
まさにうなぎの谷。
その地での一晩でうなぎの生命が入れ替わる。

稚魚は太平洋を数年かけて回遊しながら成長し、どのようなメカニズムなのだろう、親がたどった逆の行程をたどって、東アジア各地の川へと戻っていくことになる。

河川の泥のなか身を潜めるうなぎはその荘厳なほどの遍歴について黙して語らない。
人間ならばそれを商売のネタにして本を出してテレビに出て、その波乱万丈を語るのであろうが、うなぎはそんなことには興味なく、時期が来れば、またマリアナを目指して海に出るだけのことである。

運悪く人間に捕まれば、開かれ焼かれ舌鼓とともに平らげられる。
が、それをかい潜り生き延び、遠くマリアナでの新月の夜、天寿を全うするうなぎもあって、だから稚魚が存在し、人間はうなぎを日常食べ続けることができるということになる。

しかし、もはや絶滅危惧種に指定され、その数は年々減り続けている。
完全養殖の技術が先か絶滅が先か。

まるごとベールに包まれたまま、うなぎの存在自体が伝説になってしまうのかもしれない。

駅に電車がついてバスに乗り換える。
勤め人やら部活帰りの高校生やらの後に続いて乗車する。

夜、住宅街を走るバスほど心落ち着くものはない。
車窓から見える街をぼんやり眺めつつ、家族待つ家へと運ばれた。