昨晩から一気に冷え込み、明け方は肌寒いほどだった。
日中も日陰に入ると冷気心地よく、風呂に湯加減があるみたいに地上にも空気加減といったものがあって、これくらいが過ごしやすくてちょうどいい。
秋から冬へと向かう季節にあることを実感し、この空気感から映画『雪の轍』のことが記憶に蘇ってきた。
カッパドキアを舞台に描かれるトルコ映画である。
初冬のシーンからストーリーは始まる。
高原に吹くひんやりとした風が見事映像に捉えられていて、その情景によって映画世界に引き込まれていく。
カッパドキアに千年も前から吹く風が舞台に添えられるのであるから、そこで暮らす人々の営みが普遍性を帯びて見えてくる。
主人公は当地でホテルを経営している。
資産家でありインテリ。
夜は新聞に寄稿する文章を練っている。
妻はまだ若く、二人の間には隙間風が吹いている。
主人公は妻を愛してはいるのだろうが、どこかしら下に見ている。
だから、妻が誰かの力になりたい、社会に貢献したいと願って始めた慈善事業への取り組みをついつい含み笑いするかのような態度で見てしまう。
主人公である夫は、何ごとにおいても解釈し断定し妻を諭す。
妻はそれが嫌でならない。
二人は言い争って詰り合う。
冬が深まり雪が降る。
千年も前から吹く風に二人の反目し合う声が混ざって、男女の不協和は手を変え品を変え普遍的なのだと思い知らされるような気持ちになる。
妻の側から見れば、頭のいい男、頭がいいと思っている男が並べる屁理屈は息苦しく、夫の側から見れば、甘くナイーブな動機で動く妻が危なっかしくて見ていられない。
もともとは他人同士。
そこに相手への許容とリスペクトがなければ、成るものも成らない。
主人公の欺瞞と傲慢は千年の病のようなものであり二人の溝は深まるばかり。
雪深いカッパドギアがそう暗示するかのようにして映画は終わる。
名作である。