京都での仕事を終え風呂をあがって帰途についた。
駅を降りて家までの夜道。
通り過ぎようとする青年が立ち止まって近づいてきた。
二男だった。
いまから駅前のスタバで勉強するのだという。
すらっとした長身であり、思い出のなかの面影とはまるで異なる姿なので最初誰だか分からなかった。
来年金婚式を迎えると知って言った親父の言葉を思い出す。
あっという間やった。
あっという間のなかの一場面。
夜道で息子とすれ違ったことを日記にしたため、土曜朝の武庫川をこれから走る。
今日は夕刻に仕事が一件入るだけ。
あとは女房の立てた予定に従いその後ろをついて回ることになる。
過ぎ去ってしまえばあっと言う間だが、その時間を迎えて過ごす間は結構な厚みがある。
この分量感の非対称は、どこか食べ物にも似ている。
食べてしまうと何を口にしたのかおぼろになるが、料理を前にしたときはありありとその分量を感じ取ることができる。
せめてしっかり咀嚼し時間を味わう。
無駄な抵抗かもしれないがそうすれば振り返ったとき、所在不明となった時間の膨大に愕然とすることは避けられるのではないだろうか。
そろそろ起き上がり朝食を摂って走ってくることにする。