一昨晩の豚しゃぶもそうであったが昨晩のねぎ焼きも長文屋の唐辛子によってその美味が更に際立つことになった。
家内と北野天満宮を訪れたのは先週の日曜。
帰途、家内に連れられるまま長文屋に寄り青海苔多めの唐辛子を買い、そこを皮切りにし京都各所を行脚することになった。
千枚漬をはじめとする京漬物に京豆腐、粟餅に豆大福といった各種甘味に小洒落たお菓子やらを数々仕入れた。
それらが家庭の食を彩った。
子らはケーキよりも和菓子を好む。
だから粟餅も豆大福も大絶賛のもと大いに売れた。
加えて毎回添えられる漬物もご飯の味わいを豊かなものにし、わたしなど弁当に沢庵が入っているだけで歓喜することになった。
極めつけは唐辛子。
スパイスひとつでこれほど味が良くなるのだとはじめて知った。
淡路島で買ってきた玉ねぎポン酢に、鍋で茹でた大和ポークをつけて食べる。
奈良の地で成った野菜が端整な甘みで鍋全体の旨味を倍増しにし、唐辛子が含蓄あるその風味で具材の味わいに芯を通して一層引き立てた。
ひとつひとつの素材は廉価なものだが、総合すれば贅沢極まりない域に達した、と言っていいだろう。
昨晩のねぎ焼きについても、同様。
奈良で成った羽振りのいい青ねぎは歯応えよくかつ甘く絶品で、それらポン酢と唐辛子によく合った。
そしてそれだけではなく、下町フレーバーの代表とも言うべき阿倍野たこ焼きやまちゃんのソースとも調和した。
家内とともに、ポン酢とソースそれぞれにつけて食べ、味を比べて互い感想を述べ合った。
どちらも美味しいので、どれどれと味を更に深く探求することになり自ずと食が進んでビールも進んだ。
食べることが楽しい。
これは間違いなく豊かなことだろう。
われら庶民であっても、ちょっと一味凝るだけこんなにも美味しく楽しい食事にありつける。
これもひとえに家内のおかげ。
子らも久々、粉物の夜食を楽しんだ。
料理においても会話においても、食の場を大いに盛り上げてくれる賢い女房に心から感謝したい。