出先で待ち合わせて家内と昼食をともにした。
新潟の名店、小嶋屋総本店が大阪高島屋に出店すると耳にすれば行かずには済まされない。
その昔、東京に住む妹が当店のへぎそばを送ってくれた。
びっくりするほど美味しく、その美味体験は強烈にわたしたちの脳裏に刻み込まれた。
当時の歓喜を再体験するべくわたしたちは足を運んだのだった。
が、長蛇の列。
聞けばケンミンSHOWで取り上げられたことによる人出らしいということだった。
しかしやはり待った甲斐はあった。
おいしい、おいしいとわたしたちは顔を見合わせて蕎麦をすすり、当然のこと、子らの分も買って帰ることにした。
そこから仕事に戻って業務をこなし夕刻。
家に帰ると夕飯の支度が整い、奈良で買った揚げのおひたしと大和ポークのサラダが差し出された。
が、小嶋屋へぎそばの残像がわたしのなか消え残っていた。
明日から毎日腹筋することを条件に家内に頼み込み、特別に小嶋屋のへぎそばを作ってもらった。
これまで麺類を食べる際には怒涛のごとくの勢いのわたしであったが、子どもではあるまいし、もうそんな食べ方はみっともないと家内に教え諭された。
無自覚に量を食べ太る原因にもなるし、流し込むのが癖になると満腹中枢がやられ更に悪循環に陥る。
言われてみればそのとおりであった。
わたしは眼前の蕎麦をこれが一期一会と思ってしずしずゆっくり味わうよう心がけた。
ゆっくり食べれば静か潮が満ちるようにお腹が膨らみ、急いで食べるよりもはるかに満足感が募った。
わたしは家内の助言によって、少しずつマシな人間になっているのだった。
つまりは、NGロンダリング。
大阪屈指の下町育ち。
そこはあおり運転するような血気盛んな者が随所に佇むレッドゾーンと言えた。
そんな世界にあってわたしは上品な部類に属していたと思っているが、それも目くそ鼻くそのたとえのようなものかもしれない。
ものの食べ方ひとつとっても、見る人が見れば、粗野粗忽で無作法をこれみよがしにするくらい痛ましいものであったのだろう。
そんなNGの数々が少しずつ矯正されてマシなものとなっていく。
狼に育てられた少年が、心優しく面倒見のいい飼育係によって人間へと回帰していくようなものと言えるかもしれない。
そのビフォーアフターは、子らを見れば明らか。
わたしの昔と大違い。
遅ればせながら、そのような生まれついての洗練を、わたしは後天的に身につけているのだった。
ふと考える。
もし娶った嫁が下劣低俗かつアホで怠慢といったようにNGだらけの女性であったらどうなっていたのだろう。
一家もろとも負のスパイラルへの突入を免れなかっただろう。
ぶるる、震えを避けられない。