寄る年波か、食べたものがすぐには思い出せない。
朝の光景を時系列で辿って、朝食の記憶ににじり寄る。
身支度を整え学校に向け出発しようとする息子にこの日の朝は起こされた。
そのとき、おやつ代を手に握らせ読むべき記事を手渡した。
先日の朝日新聞で漫画『鬼滅の刃』が取り上げられていた。
『ワンピース』を超える売れ行きの作品で、これまでジャンプ系の人気作が「友情・努力・勝利」をモチーフにしていたのと異なり「人情・堅実・救済」を主題にしているという。
こんな漫画があるのを知ってるか。
二男に記事を見せ聞いたところ、全部読んでいるとのこと。
読んでみるから貸してくれ、とわたしは息子に言った。
歳を取ると情報に疎くなる。
息子にすべて先を越されて、情報についても与える側から貰う側へと移行しつつあるのだろう。
その他、コロナウイルスについて神里達博さんが朝日新聞に書いたコラムを二ヶ月分、息子に渡した。
映画にワンカット撮影という言葉があるが、神里達博さんの文章がまさにそう。
流れが途切れず、論旨明解で一気に読了させられる。
接続詞の使い方が見事で、緻密な論理構成が視覚的に頭に入る。
是非とも参照すべき文章である。
繰り返し熟読するよう息子に伝え、出発する彼の背中を見送った。
で、ようやく朝食。
ここに至ってありありと記憶が蘇った。
ジムの前だからと小腹を満たす程度。
お茶碗に少な目のごはん、納豆と生卵、昆布の出汁がきいた味噌汁をゆっくり味わって食べたのだった。
続いて家内の運転でジムへと赴き、ひと通りメニューをこなし、「旅サラダ」を一緒に見ながら速歩した。
帰宅し昼食。
とり軟骨を炒めてくれて、黒豆ごはんと食べた。
そして家内はヨガに出かけてわたしはサウナ。
サウナを出て缶ビールを片手に持ち、夕刻の街にそよぐ風に吹かれて駅まで歩く。
このとき、この日の幸福感はピークに達していたのではないだろうか。
帰りに赤ワインを買って家で夕飯。
クスクスサラダが前菜。
トリフオイルとバルサミコがきいて実に美味しい。
箸休めには茹でピーナッツ。
こんなもの食べたことがない。
うまい、うまいという言葉が何度も口をついて出た。
メインはネギ焼き。
山垣畜産で買ったすじ肉がたっぷり入って食べ応え満点。
丹羽で買ったポン酢がいい風味を醸し、上から「からさんどー」をかけ辛味をたっぷり楽しんだ。
食後、Netflixで映画を見ようと話し合いつつブラタモリを見ているうち二人とも寝入ってしまい、二男が帰ってくるまで春眠にふけった。
日記が一日の記憶を意識の浅瀬にとどめ置く。
日記を書かなければほぼ全てが深い淵のような場所に沈んで、無かったも同然といったことになるだろう。
なんだかそれはとてももったいないことのように思える。