忙しいときほどゆっくり進む。
焦ると短絡的になり、判断に狂いが生じやすい。
無駄な力が入ったり、逆に忌避感によって意欲が削がれたりして、どのみち仕事の質が下がりかつ無用な疲労を抱え込むことになる。
だから、忙しいときほど自らに言い聞かせなければならない。
のんびりいこう。
その日の成果がゼロでなければ御の字。
それくらいの気持ちで臨んだ方がゲインは大きい。
経験則からそう言える。
この日も同様。
タスクノートに書きつけた任務を、ひとつこなしては消し深呼吸などして歩を整え、またこなしては消しぐっと息を吸い込むといったことをやっているうち、いつのまにか結構捗った。
日暮れ時には晴れがましいような充実感に包まれて、これもいつもと同じ。
相変わらず毎日忙しく、仕事が片付けばその分また仕事が増えていくから暇を持て余すといった状態とは程遠い。
それでも実のところまだまだ余力があって、仕事が増えても苦にならない。
ほどほどに忙しく、ほどほどに余裕がある。
実に幸せな仕事人生だと言えるだろう。
業務を終えて夕刻、スーパーで買物し帰宅する。
家内の話に耳を傾けながら、手料理を食べお酒を飲む。
他愛のない事柄を長男にメールで送り、お酒をちびちび飲みながら二男の帰りを待つ。
代わり映えしない日常であるが、これで心休まるから、このままの毎日であっても何ら差し支えない。
まもなく二男が帰ってきた。
トレーニングし風呂をあがって、食卓につく。
西大和の古文のテキストの序文に感銘を受けた。
そんな話を二男から聞いて、どれどれとわたしはその序文に目を通し、わたしはわたしで彼に朝日新聞の記事を渡す。
佐伯啓思さんの『異論のススメ』。
昨年の3月1日のものとこの日令和2年3月31日のもの。
平成の終盤、日本は活気にあふれにぎやかで、しかし、人々の心には不安の影がちらついていた。
一年経って浮かれたような世相は激変した。
新型肺炎の脅威に晒され、現代文明の脆弱さがあらわになった。
しかし、それによってわれわれはどれだけ余裕を失い、常識や良識から遠い世界を生きていたのかに気付くことになったのではないか。
重鎮とも言える思想家の一年越しの論評を対比することで、世界の実相が厚みをもって理解できる。
これら言葉の見取図は若者にこそ必要だろう。
いい文章を選んで息子に渡す。
これもひとつの楽しいコミュニケーションと言え、こんなやりとりをしたときにはいつまでも長生きしたいといった欲が出る。



