塾からの帰り道、一緒に駅まで歩く友だちができたという。
他愛のない話をするだけであっても、一人で夜道を歩くより気が晴れる。
そんな話を息子から聞いて親はただ嬉しい。
どんな話をするのだろうか。
内容について想像を巡らせる。
息子の話題の引き出しはかなりのもの。
高3のときのわたしなど根暗な屁理屈くらいしか話すことがなかった。
今で言う陰キャという種族。
息子はその正反対ということになる。
映画や音楽。
旅した地の話も豊富。
新聞にも目を通すから世情に詳しく、各種スポーツにも通じている。
話す事柄は多岐に及ぶ。
息子と一緒に帰る友だちもさぞその時間が楽しいことだろう。
振り返って見れば、子らの引き出し作りに親は傾注してきたと言っていい。
本を読み聞かせ、体操やプール教室に連れていき、昆虫クラブにカブスカウト、それだけに留まらずフットサルチーム、挙句の果てにはラグビーチームにも放り込んだ。
加えて海や山に連れ、各地のおいしいものを食べ、映画をすすめクルマで一緒に音楽を聞いた。
こうしてみれば、すべてが引き出し作りの過程と言えた。
そしてここを巣立てば新天地にて「引き出し爆発」とも言える現象が起こるだろう。
これまでの準備が実って、下ごしらえしてきた引き出しが一気に多彩さを増すはずである。
尽きぬ話の聞き役になる日のことが今から楽しみでならない。