ずっと家で過ごしていると普段は見過ごす場所にも目が留まる。
この日、家事する拍子に食器棚のなかに目をやって、そこに若きわたしたち夫婦の写真が飾ってあるのを見つけた。
ダイニングの目立つ場所には子らの写真が飾ってあってそれらは見慣れている。
が、わたしたちの写真までひっそりと佇んでいたなど今まで気づきもしなかった。
結婚したばかりの頃の写真であった。
夫婦二人で並んで笑っている。
そんな写真が数枚、結構ちゃんとした写真立ての中に収まっていた。
懐かしいと思って眺めているうち、不思議の念にとらえられた。
このとき二人の間にまだ子らは登場していなかった。
性別はおろか子らの生年月日も名前も知らない。
彼らなしで過ごした時代があったなど、今では想像もできない。
子らの写真が飾られていることから分かるとおり、彼らが世界の中心で彼らの存在があってはじめてわたしたちの暮らしに彩りが添えられている。
その前はどうだったのだろう。
思い巡らせても、ぴんとこない。
写真の表情から類推するに幸せそうに見える。
一体何が嬉しくて笑っているのか。
夫婦結成当時である。
この先に待ち受ける苦難の道のりなど想定すらしていないのだろう。
つまり、知らぬが仏。
そして、写真から写真へ。
途中の労苦がすっぽり抜けて、時間がすっ飛ぶ。
思い立ってわたしは食器棚の中の新婚夫婦の写真をダイニングに置かれた子らの写真の横に並べてみた。
これでしっくり収まった。
食器棚のなかに潜んでいた遠い昔の笑顔が、子らと出会っていま子らとともにある。
これはまさしくひとつの成就と言えるだろう。
わたしは自身の善行を吹聴せずにはいられない。