KORANIKATARU

子らに語る時々日記

人生でいちばん楽しかった頃のこと

朝、疲労を覚えた。

開店と同時、駅前のマッサージ屋を訪れた。


施術を受ける間、これまでの人生でいちばん楽しかった頃のことを考えた。


時は10年以上も遡るから、この日記を始める前のことになる。

当時、子ども達は小さかった。


仕事はたいへんだったし懐は寒かった。

しかし、苦楽のうち苦の方は時が経つと後景へと退いていく。

だから眼前に浮かぶのは楽ばかりということになる。


家に帰れば元気にハシャぐ子らがいた。

間抜けな面だが親の目からすればそれが可愛さの標本とも言える存在だった。


一緒に風呂に入り、時には自転車の前と後ろに乗せて風呂屋に行って湯上がりに男三人でコーヒー牛乳を飲んだ。


夜になれば川の字になって寝て、怖い話などすれば密着度が増し、川幅は狭まった。


週末にはしばしば出歩いた。

外に出れば自然と手が伸びてきたので手をつないだ。

野山を駆け回り、一緒に泳ぎ、虫捕りや魚獲りに励んだ。


当時、わたしはとても優しい父親だったに違いない。

間違いなくわたしは優しくて、つまりわたしは幸福だった。


優しい想いにひたりつつ、たっぷりカラダを揉んでもらって、内も外も幸福感に包まれた。


心に余裕が生まれたからだろう。

後景に潜む当時のリアルにも目が向いた。


常に自らを奮い起こし、仕事に向かっていかねばならず、実入りは少なく時にはっ倒され、そういう意味で実にハードな日々でもあった。


しかしそれはもう昔の話だった。

必死に掲げしがみつかねばならないような人生の目標といったものは今はなく、強いて挙げれば現状維持といった程度が課題と言えるだろうか。


そのためのファイトは、一日数ラウンド程度。

休みなく攻防を繰り広げたあの日々は、ああ、過去のものとなったのだった。


カラダもほぐれて、疲労がどんどんやわらいでいった。


良き思い出に胸が満ち、もはや激闘からは解放された。

そういう意味でいまがいちばんいいとき、と気づいた。


老いはまだ当分先のことだろう。

つまり、まだまだ満ちておそらく孫らを迎えた頃にピークに達する。


人生、これから。

自身の立ち位置が、マッサージを終える頃にはクッキリ見えた。

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2021年8月17日昼 西宮ガーデンズ 大起水産

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2021年8月17日 夕飯

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昔の写真 2010年8月10日 びわ湖バレー アサギマダラ採集