長く付き合ったからといって皆が皆、結婚に至る訳ではない。
さあそろそろと話が進む場合もあれば、でもやはりと白紙に戻る場合もある。
後者のケースについて昔話を思い出したのは客先でたまたまある男性の名を耳にしたからだった。
聞けばその男性は第一人者として地域で名を馳せているとのことで、たしかにネットを見れば高評価をつける口コミが溢れ、それが彼の実力のほどを証していた。
最後に会ってから、かれこれ二十数年が経過する。
確かな足跡を残しつつ彼の事業は万事順調に運んでいるようであった。
彼が携わる業務は簡単に評価が得られる類のものではない。
一から十まで手間がかかって、ケチのつけどころが山ほどもある。
だからこそ、彼が積み上げてきた努力が並大抵のものではないと盤石の口コミから窺えた。
なるほど、だから彼は伴侶の選択において悩み抜き、止むに止まれぬ決断をしたのかもしれない。
どう考えてもその女房役は普通の女子ではとても務まらず、深い考えもなし道連れにできるようなものではなかっただろう。
普通なら別れに伴う苦味が後々までつきまとう。
が、彼はついていた。
いまはネット社会。
ちょいと覗けば、かつての相手が意気軒昂、ますます健在であると分かる。
後釜の男がさっさと見つかり、内助の功を強いられる地味で陰気な道とは正反対、自由に羽を伸ばして人生を謳歌している。
そんな様子を目にすれば、苦渋の決断が双方にとって良き未来をもたらしたのだと胸に巣食う苦味はたちまちのうち雲散霧消するに違いない。
丸く収まって、しかしいまもなお互いを意識し合っているのだろうか。
ネット社会であるから、そうなっていても不思議はない。
気軽に近況を知ることができる。
だから、つい発信のなか遠い相手に向けた婉曲なメッセージが入り込む。
意識のフレームにいつまでも入り込むのだとしたら、それはそれで罪な話であろう。
そろそろ息子らが年頃に差し掛かる。
成長カーブのスティープ化と軌を一にして、道は険しさを増していく。
だからもたもたすることがないよう最初から間違わないようにするのがいいように思う。
遠い先まで一緒に歩いていける人かどうか。
見るべきはあっさりその一点だけのような気がする。