夕刻、武庫川に出て海に向かって走り始めた。
走っていると、どういうわけか昔の友人の言葉が頭に浮かんだ。
あれは大学一年のときのこと。
場末の酒場で何のために生きるのかといった青臭い話になって彼は断言した。
女子にもてるため。
若き彼はそう断言した。
なにしろ大学一年生である。
最大の関心事が女子というのは隠しようのない事実であったから、なるほどとその場にいた全員がその主張に頷いた。
その後、各自職を得て、また同じメンバーで集まって同じテーマで語り合った。
やっぱりお金やで。
彼はそう言った。
いろいろと入り用になっていく時期であり、偏差値のあとは収入がパワーの指標となっていた。
一理ある話であったから否定するのも青臭く、皆でまあそうだねと頷いた。
日は西に傾いて川面を渡る微風に涼が感じられた。
走って実に気分がいい。
いつもの地点で山側へとターンした。
若い頃の話を振り返ってつくづく思う。
一時の視点だけでとても人生は語れない。
景色は移ろい、主題も変わる。
いまや疎遠になってしまったが、再会し同じテーマで語り合えば彼はなんと言うだろう。
女子やお金といった話が最前列に出てくることはないように思う。
お決まりの行程を走り終え、自宅へと引き返した。
前夜、寿司屋で飲んだのでこの日は金曜であったがお酒を控えた。
家内がマッサージを受けに出かけて留守だったので、ひとり焼鳥を食べつつ沈思し最近のあれやこれやについて考えた。
仕事をしているといろいろなことがある。
いいことも多いが、この歳になってまだ嫌なことも絶えない。
しかし捉えようによっては、毎日が学びの連続と言え、仕事を通じ貴重な糧をわんさか得ているということになる。
仕事が情報の宝庫で仕事が師。
だからまだまだやめられない。
わたしには息子が二人いる。
彼らもまたまもなく仕事人となるのであるから、父として仕事からまだまだ教わり、有用な情報を貪欲に吸収し息子らに伝えねばならない。
何のために生きるのか。
五十も過ぎれば後先知れていて、自分のことより息子らのためといった視点が前に来る。
もちろん、若い頃、こんな風になるなど思ってもいなかった。
もっと歳を取ればどうなるのだろう。
世俗的な執着はますます薄れて人類への感謝の念とともになにか恩返しをといった気持ちになるのかもしれない。
実際、どのようなことを思うのか。
そこに至るまで分からない。
それはそれで先々の楽しみということになる。