この日は大勢の人を前に話をしなければならなかった。
長時間であれば参照すべき書面を用意するが15分程度なら手ぶらで何も見ずに喋りたい。
しかし何の用意もなくふとした拍子に頭が真っ白になれば、ことである。
しかもこの歳。
雑念がとりとめもなく去来して、意識自体が映りの悪いテレビ画面みたいになっているから一度流れを見失えば、もはや元には戻れない。
そうなってはみっともなく、なんとしても15分くらいは淀みなく喋りたい。
だから話す内容を仕分けして、カラダの各所に紐付けた。
ちょうど5つに分解できたから、会場へと向かいながら、頭と出だしの話を結びつけ、眼、口、胸、腹へとエピソードをあてがって、各器官にそれらを馴染ませていった。
例えば、「頭」で話の全体像に触れ、「眼」には過去に目にした内容、「口」には印象深った言葉の数々、「胸」にて当時の心情などを回想し、そして「腹」で話を締め括って未来へつなぐ。
こうすると何も見なくても、頭、眼、口、胸、腹に格納された話のパーツを上から順に開封していくだけであるから、漏れなく滞りなく喋りを完遂できることになる。
言うまでもなくカラダの各器官のことを忘れることはない。
だから、いったんこの流れで話し出せば、話す内容を思い出そうといったような、話の腰を折る致命的な間が生じることなく、だからあちこち寄り道するくらいの余裕ができて話がより豊かに膨らむことになる。
このようにして無事に喋りがいい感じで流れて着地も決まった。
月火水と飲まずに過ごし、遠方にあって時間も遅い。
帰途、いつもの店へとカラダが吸い込まれていくのはごくごく自然なことだった。