エステ帰りの家内と店で待ち合わせた。
場所は、西宮の「鮨たけ屋」
このところ毎月予約し夫婦で通っている。
この日も出だしから素晴らしい。
美味を噛み締め、ビールをごくり、喉へと流し込んだ。
家内と結婚してよかったこと。
そんな話を皮切りにわたしは話し始めた。
もともとわたしは出不精だった。
趣味が読書と映画で、自由な一日が与えられても外へ出ることなく内へとこもる。
それで一日を過ごして、それを無為だと思うことはなかった。
しかし、いまは異なる。
そんな過ごし方などまるで「無重力に揺蕩う」ようなものであり、負荷なく頭のなかだけで自己完結する、極めて無精な話といったように思える。
家内と結婚して、そんな過ごし方が「いざいかん、重力の世界へ」といったものに様変わりした。
外へと飛び出し、あっちへこっちへと動く。
たいへん疲れるがカラダ全体でずしりと喜びを感じることができ、そんな一日は振り返って貴重な思い出にもなっていく。
だらりと寝転がっていた無為な時間が、稀有なものとなって屹立する。
つまりそこから人生が始まった、とも言えるだろう。
重力のなか嬉々として格闘する。
家内のそんな性質は、たとえば料理づくり一つにも表れている。
一口に料理づくりといってもたいへんで、手間隙かかって骨折りだから、自称料理好きは山ほどいても実際に作る人は数少ない。
つまり、家内は虚偽や虚飾の正反対の側にいる人と言え、だからうちの暮らしが実質あるものになったのだろう。
そんな話をうなずきつつ聞き、家内はビールの次に白ワインを頼んだ。
さあ、前座の話はこれにて終了。
おいしい寿司を味わいながら、あとは家内の二万語に耳を傾けるばかりとなった。