開演時間より30分も早くステージ横の列へと案内された。
ジュノとハイタッチできるというが、男が男とハイタッチしてそれがいったいなんなのだろう。
戸惑いを覚えたまま列の流れに従っているうち、目の前にジュノが現れた。
「アンニョンハセヨ」と言ってわたしは右手をあげ、ジュノも「アンニョンハセヨ」と言って右手を合わせてくれた。
なぜだろう、ジュノの笑顔が光ってみえた。
ちなみにわたしの前を行く家内は「サランヘヨ」とジュノに言葉をかけた。
「コマオヨ」とジュノが返してくれて、その言葉を家内は生涯忘れることはないだろう。
深夜にも関わらず会場は満杯だった。
日本人のおばさん客が過半を占めていたが、韓国人客も少なくなかった。
彼は両国にまたがっての人気者なのだった。
座席を囲う柵の向こうにも人だかりができていた。
熱狂的なジュノのファンたちのようだった。
甲高い声援が絶え間なく発せられ、彼女たちの気合いの入り方は異様であったから、警備に手抜かりあれば柵はもろくも突破されたに違いなかった。
そんな熱気のなかステージ上のジュノは終始笑顔で、サービス精神旺盛だった。
こんな夜中にも手抜きがない。
そんな姿をみて、わたしは彼を偉いと思った。
激戦の韓国芸能界のなか、彼が生き残ってきた理由を目の当たりにしたようなものだった。
愛玩物のような扱いを受け、いちいちキャーキャーと叫ばれて、普通の男ならそれを嬉しいとは思わないだろう。
単に熱に浮かされただけの声援は無内容で、なんの意味も有さない。
つまり、彼が有する才への理解や評価からほど遠く、おばさん方の内でくすぶる熱情が漏れ出ているだけの話であるから、そんな不本意に悪相のひとつやふたつ表情に浮かんでもおかしくない。
しかし、ジュノは完璧だった。
自分自身の役割を見事に呑み込んで、愛嬌たっぷり、いたって涼しい顔をして愛玩物になりきっていた。
そこに凄みさえわたしは感じた。
圧倒的な才でこの人物はいつか大勢の人を黙って唸らせるような仕事をするに違いない。
ハイタッチしたのもなにかの縁。
まずは出演しているドラマや映画などみて、今後関心をもって応援しようと思った。