風呂に時間をかけようと朝食は軽く済ませた。
小さな頃ならあれもこれもとビュッフェで多くを楽しむ息子たちであったが、長じてはこれというものだけ選んで他には全く目もくれない。
この日は家族ともども海鮮丼と明石焼きだけ選び、餅つき大会を見学してから風呂へと向かった。
長い時間を風呂で過ごして部屋に戻ると、わたしの荷物だけが残されていた。
慌ててメッセージを見ると、卓球場にいるとのメッセージが入っていた。
フロント階へと降り、わたしは撮影係りとして卓球に興じる家族を写真に収めた。
なんて平和な光景なのだろう。
しみじみとしたものを感じつつ、まもなく時刻となってホテルを後にした。
二男が昼前に66期の友人らと待ち合わせをしていたので、まず先に彼を集合場所である神戸大学まで送り届けた。
続いて長男。
汽車の予約時間に間に合うよう新大阪駅までクルマを走らせた。
4日が仕事始めでこの日の夜、彼は友だちと二人で食事する予定になっていた。
その友だちは大阪星光から慶応法に進み、いま青山にある商社で働いている。
馬が合ってしょっちゅう二人で会っているのだという。
新年幕開けの食事を共にするくらいだから、ほんとうに仲がいいのだろう。
西大和出身の息子と大阪星光出身の彼が同い年の新米商社マンとして親しく交流していることが親としてとても嬉しい。
帰宅してひしと感じた。
夫婦ふたりで過ごす家はなんて静かなのだろう。
食べずに終わった年越し蕎麦をわたしが茹でて二人で分けて、温泉でカラダがオフモードになっていたからだろう、ほどなくして微睡みしばし寝入った。
息子たちのためたっぷり料理がこしらえてあったから、しばらく食べるものには困らない。
残りものというには豪華な食材をあてに夫婦で盃を重ね、心待ちにするのは二男の帰りだった。
午後8時過ぎ、門の開く音がした。
夫婦そろって腰を上げて彼を出迎え、矢継ぎ早、今日一日についていろいろな質問を投げかけた。
そんな二男も次の日には東京へと戻っていく。
当分の間、家がまたしんと静まり返ることになる。