日曜日も運動に時間を割いた。
セッションを活用してこそのコナミスポーツクラブ。
つくづくそう思う。
セッションに参加せずに過ごした歳月は一体何だったのだろう。
パンプ、コアクロス、コンバットと順にこなし、みんなで限界までカラダを追い込む、この充足感がたまらない。
運動後は、家で夕飯をとる予定だった。
が、名店PANGの席が空いたとの連絡があり、急遽、神戸に向かうことにした。
家を出たとき、隣家の娘さんとばったり会った。
東京で勤務しており、週末に帰省したのだという。
久しぶりの再会だったので、近況を語り合う立ち話が長時間に及んだ。
ようやく手を振って駅へと歩き出し、受験や就職について振り返り、後になってはじめて気づくことがあるのだと、家内と共に深く考えさせられた。
隣家は受験熱からほど遠かった。
近所のひまわり塾に週3回通い、それだけで同志社中学に受かるには十分だった。
姉妹ともに合格し中高一貫で過ごした後、大学も同志社に進学した。
通学こそ遠距離だったが、のびのびとした日々を送り、大学4年の春、同志社のリクルーターに導かれ、それぞれ日本を代表するような金融機関とゼネコンへの就職を果たした。
そうそう、就職。
東大や京大の合格者数は誇らしげに語られるが、その中高の出身者がどのような就職をしたのかについてはあまり言及されることがない。
まあ、きっといい感じなのでは。
そう漠然と信じられているのだろう。
しかし、まさに当事者となって周囲を見渡し痛切に分かったことがあった。
就活の椅子取りゲームは熾烈を極める。
相当な猛者を除いては、落ちまくって全くどこも通らない。
エリート意識という下駄を履く分、進学校出身者はもしかしたらそれが足かせになるのではと思えるほどである。
思った結果が得られず挫折感を深め、結局、取り柄である勉強へと立ち返り、資格試験などに活路を見出す。
そんなケースも少なくない。
あいつはそもそも最初から医学部を目指した方が良かったのではないか。
33期の面々が集まってたまに出るような話が、他学年においても起こっているのだった。
そんな実情を知れば、ケチな勉強にあくせくするのではなく、自尊心の一翼を担うスポーツなどに注力し、人生を彩る趣味を楽しみ、多様な友だちと過ごし個性を磨き、そして、就職してから大人として本気を出すという道筋でもいいのではないだろうか、と思えてくる。
ちなみにもう一方の隣家も同様。
ひまわり塾から同志社へと進み、上の子は関西を代表する鉄道会社に就職、下の子は京都ならではといった絵に描いたような良縁に恵まれたと耳にした。
翻って、うちは受験に注力した。
それなりに勉強させ、東京の大学へと送り出した。
だからもし万一、就職が芳しくなかったら。
意地悪なことを思うような隣人ではないと重々承知しているが、照れ笑いでは済まない気まずさをわたしたちは覚えたに違いない。
もとを辿れば、中学受験。
引くに引けない一本道を走破したのだと分かって、戦慄を覚えた。