昔なら考えられなかった。
飲むなら飲む。
その一辺倒だった。
あるいは、飲まないなら飲まない。
飲まない日を継続することでしか、飲まないという状態を維持できなかった。
いま、飲む日と飲まない日が並び立つ。
飲むのが好きで楽しく、何の苦もなく飲むことができる。
だから飲むと飲まないを選択するなら、飲む方に手が挙がる。
その二つが並び立つには、後者に対しても選好が作動しなければならない。
セ・リーグとパ・リーグがあるうち、よほどの玄人ファンを除いてかつて人はセ・リーグしか見なかった。
いま、様々な創意工夫が重ねられ、パ・リーグにも光が当たり人の目が向くようになった。
それと同様。
飲まない日にも惹かれる何かが必要だった。
水曜の夜、女房と夕飯を済ませ、わたしは自室に引き上げて後はゆっくりカラダを休めて読書に勤しんだ。
カラダが楽で、知識が増える。
飲めば文字が素通りし、ページを繰る分だけ無為が嵩張る。
シラフであってこそ確かなものが積み重なっていく。
世界は広大無辺で人の世は不思議だらけ。
寝転がって、何であれ読めば一ミリずつでもかしこくなって、そう思えばその事自体が嬉しい。
それに仕入れた知識はいつか息子らとの会話においても役立つだろう。
父たるもの。
無知に安住し親父を気取るなどあってはならない。
こうしてわたしのなかのパ・リーグにも光が当たることになった。
もちろん、根っからのセ・リーグ好きであるから、週末にかけては女房と飲み、たまには外でも飲む。
別種の時間の過ごし方がどちらも楽しく、今日は東へ明日は西といった感じで、パラレルに並び立つ世界を行き来する。
どちらか一方に偏るより豊かなことであるように思える。