KORANIKATARU

子らに語る時々日記

体内時計が身を助く

金曜の夜、仕事で帰りが遅くなった。

事務所を出るのが午後9時半を過ぎるなどほぼあり得ないことだった。

 

谷町線に乗って、ちびっ子がうじゃうじゃといて驚いた。

みな同じリュックを背負っている。

塾帰りの子どもたちなのだった。

 

大人として一瞬、恥じるような気持ちになった。

いい歳して「帰りが遅くなった」など笑わせる。

 

次第、懐かしい感じで自分のなかに刻まれた時間割がよみがえってきた。

 

阪神受験に通った小6のとき、授業は夜の9時40分に終わり、みなでわいわい言いながら玉造駅まで歩いて電車に乗った。

 

子どもを夜遅くまで塾にやるなんて。

それを虐待であるかのように糾弾する言説もあるが当たらない。

 

なんて楽しい日々だったのだろう。

 

実際、眼前にうじゃうじゃいるちびっ子たちはみなでじゃれあい語り合い、実に楽しそうに過ごしている。

 

うちの息子たちにしてもそうであったに違いない。

 

塾は楽しく実のある学びがあり、そして「夜をも勤勉に過ごす時間割」がカラダの中に刻み込まれる。

 

この時間割こそ実用の最たるもので、昔取った杵柄、わたしだってその気になればあの時間をなぞって、いつでも勤勉な夜へと回帰することができるだろう。

 

楽しそうに過ごすちびっ子らを眺め、だから改めて思うのだった。

息子たちにラグビーさせたことも正解だったが、塾に通わせ熾烈な中学受験へと立ち向かわせたことも正解だった。

 

夜にも本腰を入れて何かに取り組むことができる。

それをカラダで知ったのであるから、プライスレス。

その価値は計り知れない。

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